オーロラ −日本から見られるオーロラ−


2000年前後に予想されている太陽活動の極大期が近づいてきました。それにともなって、日本からもオーロラを見られる期待が高まっています。そのあたりのことを書きなぐってみました。

日本で見られるオーロラは、一般に「低緯度オーロラ」と呼ばれています。肉眼でとらえることができる低緯度オーロラの特徴は暗赤色ないしは赤色で、もっとも明るくなった時には垂直方向に白っぽく見える縞模様が現れることです(北海道陸別町にあるりくべつ宇宙地球科学館(愛称:銀河の森天文台)のHPには、1989年10月21日に撮影された低緯度オーロラの画像が掲載されていますが、縞模様ははっきり見られないようです。2000年4月7日にも低緯度オーロラが撮影されましたが、肉眼視できるほどの明るさには達しなかったようです。さらに2003年10月にも観測されており、31日は肉眼でも確認できたそうです。このときの画像もアップされています)。
この低緯度オーロラの様子は極地方で見られるオーロラとは大きく異なっています。低緯度オーロラは低緯度地方にだけ発生するものではなく、極地方(どちらかと言えば中緯度地方寄り)に発生したオーロラを低緯度地方から見たものです。このとき、オーロラ(→参考画像)の下方(最も明るくおおよそ緑色に見える部分)が地平線に隠されてしまうため、オーロラの上方(赤っぽく見える部分)だけが地平線上方(日本の場合には多くが北の空)に見られるためでしょう。

日本で見られた最も古いオーロラの記録は、日本書紀に 2つが記録されています(なお日付はすべて太陽暦(新暦)で示されています)。
620年12月30日(推古天皇・聖徳太子が活躍していた時代)
「天に赤色の気(しるし)が現れた。長さは一丈(約3.8m)あまり、雉(きぎす)の尾のようであった。」
                         講談社学術文庫 日本書紀(下)宇治谷 孟 著 p.110 より引用
とあり、おそらくキジが尾を広げた時のように見られ、縦方向の縞模様が明確であったと思われます。

682年9月18日(天武天皇の時代)
「灌頂旗(かんじょうばた)のような形で、火の色をしたものが、空を浮かんで北へ流れた。これはどの国でも見られた。「越の海(日本海)にはいった」というものもあった。この日、白気(はっき)が東の山に現れ、その大きさは四囲(一丈二尺=約4.6m)であった。」     講談社学術文庫 日本書紀(下)宇治谷 孟 著 p.292 より引用
前半の記載からは、おそらくカーテン状のオーロラが現れたと思われます。後半に記載されている白気は、黄道光と考えるのが自然ですが、もし黄道光が見られる日の出のころではなく深夜に現れたのであれば高緯度地方(カナダ・アラスカなど)で頻繁に見られる緑色のオーロラだったのかもしれません(肉眼には白っぽく見られる)。実のところ見られた方角から考えてその可能性は低いでしょう。
しかし、高緯度地方と同じようにカーテン状のオーロラが日本で見られたことから、かなり大きな磁気嵐が発生したと考えられます。

また、おうし座の超新星爆発(残骸が現在のカニ星雲[M1])を記録されていることで有名な、藤原定家の「明月記」にも、 1204年2月21日 に見られ人々が恐れたという記録が残されています。このころは「オーロラ」という言葉はなく、「赤気(せっき)」と呼ばれていました。中世以前の日本の古い「赤気」の記録も決して少なくなく、約50個の史料が残されているようです。
なかでも 1770年9月17日 の「赤気」は大規模なもので、北海道から九州(佐賀・長崎)までの広い範囲で見られ、およそ40の書物に記録されているとのことです。その1つとして、尾張藩士 高力種信が自らの書「猿猴庵随観図会」の中に「火の雨が降っているようであった」と、その出現に多くの人々が驚く様子を描いた絵と共に記録しています。


高力種信著 「猿猴庵随観図会」 1778年頃 国立国会図書館蔵
東京大学社会情報研究所コレクション 幕末明治ニュース事始め 〜人は何を知りたがるのか
木下直之・北原糸子編  中日新聞社刊 より
日本から観測された低緯度オーロラの様子を知る貴重な資料として、お断わりなく引用させて頂きました。
所有者、編者、出版元各位にご迷惑がございましたら、当方へお知らせ下さい。直ちに削除いたします。

明治以降になると、低緯度オーロラは「極光」または「オーロラ」として記録されるようになります。約11年ごとに訪れる太陽活動の極大期に前後して、主に北海道地方を中心に見られたことが記録されています。

国際地球観測年にあたる1957年以降、組織的な観測が可能となり、 1958年2月11日 には大規模な磁気嵐にともなって発生した、観測史上最大(日本の歴史的には1770年9月17日のオーロラの方が上と思われる)と言われる低緯度オーロラが観測されました。この低緯度オーロラが発生した時期も太陽活動の極大期にあたり、肉眼で見ることのできなかったものも含めると、1957〜60年に9回観測されています。
1989年10月19日 に発生した太陽面爆発(フレア)が引き金となって磁気嵐が発生し、10月21日に北海道と東北地方で、肉眼で低緯度オーロラ(冒頭に紹介したオーロラ)が見られました。やはりこの時期も太陽活動の極大期にあたり、肉眼で見ることのできなかったものも含め、1989〜93年に10回観測されています。これらの観測結果から、強い磁気嵐が発生すると、かなりの頻度で低緯度オーロラが起きていることが分かってきました。これまで低緯度オーロラが珍しい現象として考えられていたのは、一般に低緯度オーロラがあまりに暗く、肉眼で見ることができるほどの明るさを持ったものが現れることがまれであったためだということも分かってきました。しかし絶対的な発生回数が少ないこともあって、観測情報は十分ではなく、発生のメカニズムなど未知の部分が多く残されています。

現在、太陽は2000年前後に予想される極大期に向かって、その活動度を増しています。それにともなって、日本でも低緯度オーロラが出現する期待が高まってきました。今後は、人工衛星などからの観測情報も含め、多角的な情報も得られるでしょう。過去の例から考えて、1999年後半から2003年までは、大規模な磁気嵐が発生し、肉眼で見られる低緯度オーロラが現れることも十分に予想できます。

その期待に応えるように、2000年4月7日0時半ごろ(6日16時半ごろUT)に急始性の磁気嵐が発生しました。、もしかしたらと思っていましたら、この日北海道陸別町で午後8時半から午後11時半にかけてオーロラが発生し撮影に成功したそうですが、肉眼で見ることはできなかったようです。オーロラの出現は1992年5月10日以来8年ぶりのことです
このときの撮影データ(ASA800フィルムを使用し、24mmf2.8レンズ開放で1分露光)から考えても、かなり暗いオーロラだった思われます。よほど暗く透明度の高い陸別のような空でないと、このオーロラは撮影できなかったでしょう。なおこのときの磁気嵐は地球規模のもので、アラスカなどでも大きなオーロラが発生したようです。

過去の記録からみて、秋(9〜10月)の方にも激しいオーロラが現れるようですから、2000年秋は期待がかかりました。そして2000年11月29日23時03分に北海道陸別町で低緯度オーロラが撮影されました。このときの撮影データ考えて、残念ながらオーロラはかなり暗く肉眼での観測は出来なかったと思われます。

今活動期の太陽活動はピークを過ぎたとも言われており、オーロラの発生頻度が下がっていくことが考えられます。だからと言ってオーロラの激しさが衰えていくとは言えません。今後とも太陽活動に伴う磁気嵐には注意していきたいものです。

磁気嵐に関する情報は、情報通信研究機構 平磯太陽観測センター太陽地球環境情報サービス最新の太陽地球環境予報が参考になります(興味のある方に「太陽地球環境予報」をe-mailにて配送するサービスも行なわれています)。
磁気嵐の予報が出た晩には、北の空を期待を持って眺めたいものです。


オーロラが見られるか見られないかは、結局は運です。
日頃の心掛けを良くしておきましょう!!


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